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J・S・バッハ「ゴルトベルク変奏曲」 西山まりえ(cemb) ~この"揺らぎ"は未体験の領域。
J・S・バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988
西山まりえ(cemb)

[Anthonello MODE(国内盤) AMOE-10003]

 この演奏は本当に素晴らしい。ゴルトベルクの演奏史、いやバッハ演奏史に本気で新しい時代を刻みつつあるのではないか?今までに体験したことのない特徴ある演奏。これまでのバッハ演奏では耳にすることができなかった、自在に伸縮するリズムの揺らぎ。揺らぎ具合は相当に思い切っているが、案外自然でもある。その揺らぎが、思いの他しっかりとした”語る”口調の演奏法としっかりリンクしている。

 「次はどんな変奏かな?」とワクワク心待ちにするなんて体験、今までになかった。しかも、何回か通しで聴いた後でも同じようにワクワクする。つまり、単に奇抜な演奏だから楽しいという訳でもなさそうだ。この演奏、色々なノウハウが詰まっているに違いない。

 今まで色々CDは聴いてきたけれども、ゴルトベルク変奏曲というのはいま一つ面白いとまで感じなかったのが正直なところ。最初から最後まで70~80分似たような曲調が続くので、余程気合を入れないと最初から最後まではねぇ…という所だった。しかしこの演奏は違う。この演奏で聴くゴルトベルクは”楽しい”。

 この曲の名だたる演奏、周到な解釈かつ味のある演奏の武久源造盤[ALM]、シャープなリズム感でサクサク進むスコット・ロス盤[ERATO]、もちろんグレン・グールドの両盤[SONY]もさしおいて、管理人の座右のゴルトベルクはこのCDで決まり。当分間違いなさそうだ。


 さて。ところで管理人はさっき「バッハ演奏では」耳にすることができなかった、と書いた。

 というのは、これがバッハから約100年前のイタリア・バロックの鍵盤音楽の大家、フレスコバルディの演奏になると、最近の録音は結構こういうふうに自由なリズムを取ったものが多いのである。

 かつて、ちゃんとした歴史的チェンバロの演奏家はオランダやイギリス勢が中心で、フレスコバルディの演奏も、大御所グスタフ・レオンハルトをはじめとして幾何学的なカチッとした解釈が多く見られるように思う。しかしそれが1990年前後、リナルド・アレッサンドリーニやセルジオ・ヴァルトロといったイタリア勢のチェンバロ奏者が柔軟なリズムを駆使した歌うような演奏をして、以後の演奏解釈が一気に変わっていったようだ。CDを聴いただけでもそれはおおむね分かる。

 ※フレスコバルディのチェンバロ曲をグスタフ・レオンハルトやスコット・ロスの演奏でしか知らない方は、今は入手困難かもしれないが、アレッサンドリーニの歌心に満ちた「フレスコバルディ:トッカータ集第1巻[ARCANA]」、ヴァルトロのやたら息の長いリズムのフレスコバルディのトッカータ集、カンツォーナ集など[Tactus、NAXOS]を耳にするととても同じ曲には聞こえない位印象が違うので、一度耳にしてみると良いと思う。


 管理人、過去にイル・ジャルディーノ・アルモニコがバッハのブランデンブルク協奏曲を録音した時、そして、リナルド・アレッサンドリーニがバッハ作品の録音に手を付けたとき、バッハ演奏に同じような革命が起こるのではないか?と期待していた。でも、残念ながらあのときはそこまでの奇跡は起きなかった。

 …が、ここにきてこれらの経緯を振り返ってみるとちょっと興味深い。演奏者の西山さん、ライナーノートを見てみるとそのリナルド・アレッサンドリーニにチェンバロを学んでいる。今回のCDがこういう解釈になったのは、こういった経歴と無関係ではあるまい。歌うような解釈はこの辺からきているのか思うと、世間というのはいろいろな形で回っていくもんだなあと思う。渡邊順生氏にもチェンバロを学んでいて、語るような演奏は確かに渡邊氏を感じさせる、巧さを感じる語り口。西山さんのバッハのシリーズはこれからも続くようなので、しばらく新譜が出るのが楽しみだ。
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