グスタフ・レオンハルトの思い出
 今月号のレコード芸術を見て、あのグスタフ・レオンハルトの訃報を知った。

 レオンハルトのチェンバロ演奏を、一度だけ聴きに行ったことがある。2009年5月の来日ツアー。5月10日の名古屋しらかわホールでのリサイタル。

 そもそも、それ以前のツアーから「最後の来日では」と噂されていた中でのツアー。生で聴ける千載一隅の機会、逃してなるものかという気持ちで足を運んだリサイタル。(実際には、最後から2番目の来日ツアーとなった。)

 この日聴いたレオンハルトの演奏は、この年齢にして辿り着いた最晩年の境地。想像以上に完成されていた。
 が、単純に「凄かったー」「楽しかったー」と無邪気に感想を述べられるような演奏ではなかった。むしろ…

「レオンハルトも、これを聴いている聴衆も、果たして、楽しんでいるだろうか?」

 聴いている最中はおろか、今に至っても繰り返し自問自答させられるような演奏。
 この日のことは、いまだ自分の中で消化できていないのが正直なところ。


 ※書きかけのままアップロードしちゃいました。続きは気が向いたら忘れた頃に書いてみるかも…
ピリオド楽器による、ストラヴィンスキー「火の鳥」。
・グラズノフ:バレエ音楽「ライモンダ」「四季」より、シンディング:東洋舞曲、アレンスキー:バレエ音楽「エジプトの夜」より、グリーグ:小妖精 Op.71-3(抒情小曲集より)、ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」全曲 (1910) フランソワ=グザウィエ・ロト指揮、レ・シエクル
 (musicales actes sud ASM06)
 何度も使い古された言葉だが、「ピリオド楽器演奏もついにここまできたか」と改めて思わされる演奏。非常に印象に残る1枚。

 冒頭のグラズノフから、弦セクションのノンヴィブラートが炸裂。これが聞いていて耳に非常に心地良い。
 徹底したノンヴィブラートはメインのストラヴィンスキーでも非常に効果的に働いていて、ピリオド楽器特有の超高解像度の透明感も合わせ、まるでシェーンベルクでも聴いているかのようなヴィヴィッドで生々しいショッキングな感覚。初演当時の聴衆の反応を想像してみたくなる。「カスチェイの凶悪な踊り」も、ピリオド楽器の疾走感に加え、激しいダイナミックレンジで迫力十分。打楽器がいい仕事。

 レベルの高い弦セクションを筆頭に、ここ10年位のピリオド楽器演奏の成果を一身に背負ったような素晴らしい快演。このCD、気の早い話だけれど、2010年代、今後の10年を代表するようなエポックメイキングな1枚ではなかろうか。多分。

 
トン・コープマン オルガン&チェンバロリサイタル(2010.11.13 ハーモニーホールふくい)
 いやー、昨日のコープマンのリサイタルは本当に堪能できた。

 こういう個性のある演奏家の場合、ライヴになると日によってどうしてもムラがあるんだろなと思われるんだが、この日のコープマンは随分調子が良かったと思う。

›› 続きを読む
トン・コープマンがハーモニーホール福井に! しかも全曲バッハ。
 オランダのチェンバロ・オルガン奏者、トン・コープマン。
 実は管理人、昔からこの人のファンなのである。

 この人の演奏は、かなり個性的。簡単にいうと、楽譜に書いてないトリル等の装飾音が曲の随所に異常に増える。無味乾燥になりがちなバッハの鍵盤作品が、この人の手にかかると賑々しい演奏になるのだ。トリルのバリエーションも多彩。凄いと思う演奏家は多々いるけれど、あえて「ファン」とまで呼べるクラシック演奏家はこの人だけ。何というのか、演奏にそういう類の魅力がある人。

 11月13日(土)に、そのトン・コープマンが福井に来るんですって!
 曲目は全曲バッハ!
 しかも、オルガンでは「トッカータとフーガ ニ短調」に「パッサカリアとフーガ」、チェンバロでは「半音階的幻想曲とフーガ」。のどから手が出るような有名曲の組み合わせ。この組み合わせがコープマンで聴けると考えただけで嬉しくて仕方がない。

 公演のチラシの写真からすると、使用するチェンバロは、コープマンがいつも使うクレースベルヘン作のものじゃなくて、ホール所蔵のフォン・ナーゲルみたい。まあそれはそれで面白いかもしれない。※当日行ってみたら、やっぱりクレースベルヘンで演奏してた。(2010.11.14追記)。普段は見えないオルガン演奏時の手元やペダルを弾く足元をモニターに写してくれる模様。それもちょっと面白そう。

 ハーモニーホール関連ではでは久々にわくわくするニュースだ。もちろん、もうチケット買いましたよ。
マーラー:交響曲第7番「夜の歌」(ケーゲル/東京都交響楽団)
 ここしばらく、鶴我裕子「バイオリニストは目が赤い(新潮文庫)」を少しずつ読んでいる。肩の力を抜いた、センスのある演奏日記というか音楽小話というか。「クラシック聴きたいな」って想いがまたふつふつと湧いてきた。読んでて本当楽しい。

・マーラー:交響曲第7番 ホ短調「夜の歌」
 ヘルベルト・ケーゲル指揮/東京都交響楽団
 (東武レコーディングス TBRCD0003-2)
 さて、実は管理人、マーラーの交響曲の中では第7番「夜の歌」が一番の好み。少数派になるのかもしれないが、何が飛び出すか分からない「夜」の空気をふんだんにまとったこの曲、好きで好きで仕方がないのだ。

 支離滅裂な表現がまとまりなく散らばっている感じの曲なので、CDをきちんと選ばないとこれといった印象もなく終わりかねない曲だけど、スケールの大きさ・解釈とも圧倒的なクレンペラー盤(EMI)、派茶目茶な高速テンポのシェルヘン/トロント響盤(Music&Arts)、一見軽い表現に見えて、要所要所、おとぎ話のような表現で「夜」のあの生温かい狂気をうまくまとめたラトル/バーミンガム市響盤(EMI)など、ハマると一生もの、生涯座右のCDになってしまうかも。この曲にはそういうヘンな魅力がある。

 今度出たケーゲルのCDは、ひさびさに「これは」という感じの演奏。冒頭からリズムの刻みがいやにカッチリしていて明晰、いかにもケーゲルといった、他のマーラー指揮者にはみられない独特の演奏。こういうきっちりした演奏を普通の指揮者がすると、曲の雰囲気がミョーに明るくアッケラカンとして興醒めになるような印象があるんだけど、そこはやはりあのケーゲル。理知が勝ったようなこんなにきっちりした演奏なのに、なぜか暗さ・空虚さをちゃんとまとった演奏になっている。

 通常の演奏だと、終楽章(第5楽章)が偽善の塊のようなハリウッド的表現の連発に聞こえるこの交響曲。その終楽章がケーゲルの手にかかるとピシッと締まったえらく立派な楽章に変身しているのは特筆すべきところ。このため、全曲通して楽章間のバランスがきっちり整ったと感じる。こういう曲の解釈も非常にアリなのではないかと思わせるCD。手放せない一枚がまた増えたなーって感じ。
大久保 奏 ピアノリサイタル (2009.4.24 ハーモニーホールふくい)
 このリサイタル、たまたまチラシを見かけて、リサイタルの前からちょっと興味を持っていた。

 何しろ、曲目がベルクの「ピアノソナタop.1」に、プロコフィエフの「ピアノ・ソナタ第7番」。ご存知の方は分かると思うが、聴く人によっては過激ともとられかねない尖鋭な表現をたっぷり含む、20世紀の有名ピアノ作品である。(管理人自身はベルクのピアノソナタが非常に好みだったりするけれども)。

 そのうえ、チラシ全体の雰囲気等々から判断するに、演奏者の大久保奏(かなで)さんという女性はどうもニューフェイスといった気配が濃厚なのである。他の演目にはメンデルスゾーンの名が。渋い。こういう新人の方のリサイタルというと、一般受けするようモーツァルトやショパンの曲で埋め尽くす場合がほとんどだと思うんだが。”知性派”といった雰囲気が濃厚なプログラミングである。

・ほー、福井でこんな攻めのプログラムが聴けるとは。
・しかも新人さんが。

この2点で、聴きに行く動機はもう十分だ。

…そして実際のリサイタルも、期待に違わず聴き応えのあるいいリサイタルだった。

›› 続きを読む

| BLOG TOP | NEXT ≫


QRコード
 このブログのQRコード